世界に歩み出した日本【明治時代】の自主学習ノート
このページでは、小学校で習う歴史の自主学習ノート例をご紹介します。
明治時代に不平等条約の改正を目指した道のりを1ページにまとめます。
動画もあります
このページに掲載している自主学習ノートの作り方を動画でも解説しています。ぜひこちらもご覧ください。
(5分18秒/BGM・ナレーションあり)
世界に歩み出した日本の自主学習ノートの作り方
今回は社会の教科書を参考に、自主学習ノートに大事な言葉をまとめていきましょう。
まずは教科書をよく読み、ノートにまとめたい言葉に線を引いたり、メモを取ったりします。線を引いたところやメモを何度も読み返しながら、不平等条約改正までの流れや、重要と思えるキーワードをまとめます。
まとめノートはいろいろな作り方がありますが、今回は、できごとが起こった順に上から下へと並べて書いていくノートの作り方でやっていきます。
不平等条約の改正を目指した道のり
江戸時代、日本は200年以上の間、ほとんどの外国との貿易や交渉をきびしく制限していました。この政策は鎖国(さこく)と呼ばれます。
江戸後期には次のようなことが起こり、ついに日本は開国しました。
- 1853年:ペリー来航 開国を求められる
- 1854年:日米和親条約 鎖国の状態が終わる
- 1858年:アメリカとの間に日米修好通商条約 その後多くの国々と条約を結び、貿易を開始する
しかし欧米諸国と結んだ条約は、不平等なものでした。
外国に領事裁判権を認めていた
日本で罪をおかした外国人は、その外国人の国の法律で裁かれる(日本の法律で裁くことができない)ことになっていました。
1886年イギリスの船ノルマントン号が日本の沖で沈没した。その際、西洋人の船員はボートでのがれて助かり、日本人の乗客は全員亡くなった。船長は領事裁判により軽い刑を受けただけだった。
日本に関税自主権がなかった
外国製品を輸入する際の関税を日本が決められませんでした。(安い関税で外国製品が日本に入ってくるので、日本製品が国内で売れなくなってしまう)
このように、欧米各国と結んだ条約には、日本に不利な点がありました。明治政府は条約の改正を目指しますが、なかなか実現しませんでした。
明治の後期に、外務大臣の交渉が成功し、やっと条約改正が実現します。
陸奥宗光(むつ むねみつ)
1894年 イギリスとの条約の一部改正に成功。領事裁判権をなくす。
その後、イギリス以外の国々とも同様の条約改正が行われます。
小村寿太郎(こむら じゅたろう)
1911年 条約改正に成功し、関税自主権が回復。
これにより、やっと欧米諸国と対等な条約を結ぶことができました。
鎖国状態であった日本が開国した際に、欧米の国々と結んだ条約はどんなものであったのかを、まずまとめたいと思います。
そしてその条約が、いつどのように改正されたのかをノートにまとめていきましょう。
工夫として、ノートの右側に年号を書いて、時間の流れがわかるようにしたいと思います。
明治維新、日清戦争、日露戦争といった、重大なできごとのだいたいの時期も記入しました。関連付けて記憶できると良いですね。
今回の重要なキーワードは次の二つです。
- 領事裁判権(りょうじさいばんけん)
- 関税自主権(かんぜいじしゅけん)
今回のノート例には、この二つの言葉の意味までは書いていません。教科書を読んでこの二つの言葉の意味を書いたり、日本にとってどのように不利だったのかをもっとくわしくノートに書いたりしても良いと思います。
歴史上の人物の肖像画や写真が教科書に載っています。それを参考に、かんたんに絵を描いてみるのも良いでしょう。絵を描くために何度もよく見て手を動かすことで、しっかり記憶に残るでしょう。
まとめノート作りは時間がかかりますし、面倒くさいと思うかもしれません。
いろいろ工夫してまとめの自主学習ノートを作ると、ただ穴埋めのプリント等をやるだけよりも、記憶に残るはずです。特に興味を持った単元や、歴史上の人物などを、時にはこのように自主学習ノートにまとめる学習をやってみていただけるといいなと思っています。